1984 brazil
1984年 → 未来世紀ブラジル

1984年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つ、オセアニア国では<偉大な兄弟>に指導される政府が全体主義体制を確立し、思想や言語からセックスにいたるすべての人間性を完全な管理下に置いていた。この非人間的な体制に反発した真理省の役人ウィンストンは、思想警察の厳重な監視をかいくぐり、禁止されていた日記を密かにつけはじめるが……
社会における個人の自由と人間性の尊厳の問題を鋭くえぐる問題作

以前ちょこっと書いたのですが、、
最近気になる物書きの人がやたらと「1984年」を引用するので読んでみました。
SF小説以外の何物でもないだろうと高をくくっていたのですが、ゴメンナサイ!いやぁ、なんて背筋の寒くなる話なんだ。冷戦時代を予見していたなんて言われてますがこのご時世のグローバリゼーションにも通じていて何だか空恐ろしい。

  • 戦争は平和である
  • 自由は屈従である
  • 無知は力である

不幸な他国があるから日本は平和に暮らしていけるんだねぇ。憲法改正国民投票法案なんておっかない話がありますが果たして大丈夫なのだろうか。。
そんなわけで気になる人は是非読んでみてください。面白いよ。政治的文章を芸術に高めたと言われる一冊。
ジョージ・オーウェル自身も大変興味深い人です。あとがきをチェック!

そんなわけで知らなかったけど欧米では超メジャー古典小説のようです。
「1984年」にインスパイアされたさまざまな映画、小説、音楽、コマーシャルに私も知らず知らず接していたようです。
特にオレの心の一本「未来世紀ブラジル」。世界観なんて完全に一緒で途中まで「ひょっとして未来世紀ブラジルの原作なのか?」なんて思って読んでた。主人公ウィンストンが完全にジョナサン・プライスになってた。
アップルのコマーシャルも有名だね。

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追記:2007年5月11日

それにつけても、このところ世界では少数民族の言語がどんどんなくなってきているそうだ。言語はその民族と種族の文化であり多様な価値観と表現の大切なものであるのに、大きな国家の共通言語に飲み込まれてしまっている。
言語/方言/表現 from クロテルブログ

言葉がなくなると価値観も思想もなくなるという個人的にタイムリーな話題。
逆を返せば「肩こり」って日本人にしかない言葉であったりヒンドゥー語には謝罪に値する言葉がない(違ったっけ?)であったり。
「1984年」でも新語法<ニュースピーク>を台頭させることで思想を制限させてたね。


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Comments
  • Naohide Kusano

    おもしろそう!

    Posted at 01:07 AM on May 10, 2007
  • トシ★細井

    オモシロイヨ。完璧な小説。

    Posted at 11:41 AM on May 10, 2007

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