CHE_diary.jpg読み終わりました、ゲバラ日記
コンセプチュアルなプロレタリアート文学のような本書。ノンフィクションノベルを読んで感化される自分の第一声がフィクションな点はさておきとても面白かったです。
ボリビア潜伏から11ヶ月、67年10月7日までの日記、2日後に処刑される。
その内容は山岳地帯を潜伏する中で訪れるさまざまな諸問題をチェ・ゲバラが冷静に綴る。
例えば迫りくる飢え、渇き、ゲリラ隊内での確執、持病の喘息、厳しい自然、政府側のラジオ放送。
渇きのあまり自分の小便を飲んで痙攣を起こす者、飢えのあまり食物を奪い合う者、ただ困難に陥りながらもそれぞれのゲリラ隊員がゲバラの元、高い士気を持って戦い、死んでゆく。

食糧はたっぷり十日分ある。
食糧はたっぷり五日分ある。
それが1日ごとに減ってゆき、
食糧は二日分しかなくなった。
となる。その都度家畜がいれば家畜を殺し、いなければ耐え忍び行軍を続ける。 行軍は先行隊がジャングルに道を付ける。
三人が四キロほど道を切り開いて、午後になってもどってきた。
ウルバノとベニニョが道を切り開いた。

医師でもあるゲバラは残りの食糧、歩いた距離、標高などの数字を淡々と日記に綴る。
このひと月、暫定的に電車通勤したんだけど、その行き帰りで少しずつ読み進めるそのフシギな不条理感覚。

三月十六日。栄養失調によるむくみがひどくなってきたので、馬を殺して食べることにした。ミゲル、インティ、ウルバーノ、アレハンドロ......。みんな下痢したり熱を出している。私の体力も極端に落ちている。
 午後五時。馬肉のご馳走を食べた。多分、明日この報いがくるだろう。
五月十六日。歩き始めたとたん烈しい疝痛に襲われ、吐き、下痢をした。デメロールを飲むとようやく痛みは止まったが失神してしまい、みなにハンモックで担がれた。目を覚ましたときは楽になっていたが、まるで乳呑み児のような垂れ流し状態だった。誰かが代りのズボンを貸してくれたが洗濯用の水もないので私の発散する臭いは遠くまで届いただろう
小田急線で読み進めるにはハ-ドボイルドな内容だった。

関連:チェ・ゲバラの遥かな旅チャベス ラテンアメリカは世界を変える


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